モンテッソーリの子供の家を開く資格をとるべく勉強中です。といっても、去年の11月に申し込んだきり、なかなか手がつけれず、やっと第一課題ができたところ*。インドの
e-Educationです。10年くらい前から
「サラリーマンを早期引退したら、自宅で託児所を開こうかな?」
とぼんやり考えていたので、働きながら、上智大学にある夜学のコースにに通うか?通信教育で保母の資格をとるか検討していましたが、ずーっと自分に合う道を探し続けると良い道に行き当たるものです。
まだまだコンピューターに向かった途端、抱っこだの、おしっこだのと要求され、寸断される上、私は睡眠時間が異常に長いのが長年の悩みで、夜は子供と一緒にぐうぐう寝てしまい、少しくらい早く起きても、子供まで一緒に起きて
しまうので、いつ終わるのか先が見えない毎日ですが、やりたいことは
「できるかなぁ??」
と不安があるときは、まだ時期尚早
「やる」
と腹が決まれば絶対成る。この資格取得はその段階まで行っているので、その内先がみえてくるでしょう。
もともと、ゴールの資格取得より、回り道が楽しくて。私もモンテッソーリの幼稚園で学んだのですが、その頃を振り返って、どの方針が今までの人生に影響してきたのかを考えたり、どこを踏み外して、横道に逸れてしまったか、半生を
振り返っています。蕗妹が一人遊びに飽きて、私の勉強に横槍が入ったら、私が幼稚園で使った教具を思い出して、一緒に作って、遊んだりしています。ものづくりの原点をみなおすこともできる楽しい脱線です。
何よりありがたいのはインドのいい加減さ。課題提出期限は特に定義がないし、驚いたことに課題と同時に模範解答まで一緒に送られてきていたので、手を抜きたければ、模範解答を
そのまま提出してしまえば、ほぼ終わり。やる人はどこまでも追及するし、全然違う段階の人もいるインド文化の性向が合わさって、イタリアで生まれたモンテッソーリ教育の新たな翻訳に触れた気がします。
幼稚園の先生はお母さんの補助的役割だから、そういう人を育てるのに、決まりごとや締め切りをうるさく言うのはどこか違います。基本的なことだけおさえるように
導いてくれるのはとてもいいと思います。
モンテッソーリ女史の推奨しているものに、子供が特定の要素に敏感に反応し、集中して関わりを持とうとする時期、敏感期(Sensitive Periods)というのがあります。
上の写真左は娘蕗妹が1歳5ヶ月の時のもの。右は2歳。母親が毎日楽しんでいる洗濯物干しを手伝いがる波が2回おとずれました。母親の私が洗濯に集中できる波が来たのはチェンマイ
の我が家の庭が整ってきてからですから、敏感期の訪れは非常に遅い(笑)6年前に整体の講座で洗濯物を延ばして干す日常の動作の時の肘の使い方を習いました。洗濯物を干しただけで体に充実感と喜び
があふれる気がしました。しかしながら、毎日の動作に定着させるまでには、随分かかりましたねぇ。畑の耕し方も習いました。鍬を一回ふりおろすことに喜びを味わえるように、履物を考えたり、着る服を考えたり、今さらに充実感を深めるように努めています。
うまくいった日はとても満ち足りた気分で、ベッドに入れます。そういう日常の普通の動作を喜べる人になりたい。そういう人を育てられたらうれしいです。
新月に願望を書くことを推進しているJan Spiller曰く
「願いを込めるという行為は、夢を現実のものにする過程で、魂の成長をももたらします。」
「あなたが手にいれたいものはみな、あなたの魂が求めているものほかなりません。さまざまな経験をもとめ、それが実現していく過程で、あなたの魂は人生の多様な真実を理解し磨かれていくのです」
と
「魂の願い新月のソウルメイキング」より
*ご興味の或る方はご参考までに、第一課題は実技で教具をつくりました
此処
♪すべての願い、望み、祈りが叶うこの世界に感謝♪
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