今回も前回話した、私の天職についての続きで、ハートハンティングの大事なツール!私の家族についてです。
私の両親もそのまた両親達も、子供は親を利用していいと言って育ててくれたので、私は
全くもって利用しています。その代わり私達も次の世代に利用されるのです。それが地球上全ての
生き物の宿命。 よく、「人に利用されたくない」などという人がいますが、植物の出した酸素を
吸って、野菜を食べ、動物を殺める人間だけが利用されたくないというのは傲慢だと思います。
お互いに、ありがたく利用させていただき、使っていただく、それが円滑にいくように長い間練られてきたのが
文化と呼ばれるものなのかもしれません。
結婚して間もない去年の夏ごろ、何から妄想を抱いたのか、怒って「日本人が大戦の時に
何をしたのか 知っているのか?」「それまで医者だの、学校の先生だのと騙ってタイに住んでいた奴が戦争が始まると 化けの皮を剥がして軍人になったんだぞ。」と日本人の私に対する不信感を露わにした夫のヌクーン
が、 この所、やっと家族という認識が出てきたらしく、私が、「ヌクーンの気が進まないから」と宴会を断ったり
しているのを知って、「なんで僕のせいにするんだ」と半ば怒りかけたものの、「ごめんごめん、私は家族を
利用するのが癖で。一番の犠牲者はお母さんよ」と言うと、すぐに納得するまでになりました。まあ、まだ
まだ 疑っているのは知っていますが、いいんです、そのくらいの方が男性は。でないと一家が路頭に迷います。思えば
父もそんな人でした。そして、私は人使いが荒いし、気をつけてはいますが、金遣いも荒い。(笑)
さて、私がこの家族と言うツールをハートハンティングの際に、どう利用するかといいますと、
情報収集他でしょっちゅう遭遇する、「他者を批判」する方が、ご自分を観られるように、視線を
変えていただくためにです。私の師事する整体の研究所の先生が「資本主義は人を批判者にする」とおっしゃいました。
そうですよね、消費者は、ちまたに出回る商品のうち「こっちより、あっちがいい」と比較する欲を刺激されて、
消費活動に走らされています。作り手がどういう経緯で、そのものを作ったか?とか、心がこもっている
とかいうことは、ほとんど考慮されず、見かけや値段だけがクローズアップされ、「偉い消費者の”あなた”が選んでいる」と俺様心をくすぐられ、洗脳されて、多くの人間が購買活動に走らされているのが
資本主義だと思います。 本当に気をつけなくてはいけません。批判者
でいる限り、真は見えてこないし、良い仕事はできないと思います。そういう比較や批判に対して、私も同じ
ようなことをしましたよと具体的に説明することにしています。暗に「あなただってするでしょう?」とか「どうして、そうなのか、もう少し考えてみない?」と投げかけて
いるつもりです。私に経験のないこと、特に子育てに関しては、私の母を使います。イギリスのアガサ
クリスティーの書いた探偵小説の探偵ミス マープルは、推理をする際、いつも身近な人がした、似た
ようなことから 解いていきます。女性の脳に合った分析法ではないでしょうか?何より、頭の中で映画
のように状況を描いてから物事を判断する私に合ったやり方です。しかしながら、話の本流から逸れた舞台設定に光を当て、 詳細に説明
しすぎてしまう癖があり、技術をより磨く必要があると思っています。私の露悪的になりがちな
説明を大抵の方は「純ちゃんは
お母さんや家族に本当に愛情をかけられて育ったから、そこまで言えるんだね。お母さんに感謝
しなければね」等々と言っていただける
のですが、なにぶん技術が稚拙なため、「家政婦は見た」のようだととられてしまったり、
家族に対する何かトラウマを抱えているのではないか?と思われてしまうことがあるようなので、
特にちょくちょく使っている母に対しての罪ほろぼしを兼ねて、ここに私の 意図を明らかにしておきたい
と思います。
母は子育てが上手すぎて、整体の先生のおっしゃる「親の意のままにいかない強い」
「とんでもない」子を育ててしまったので試練を何度も乗り越えさせられておりまして、娘が言うのも
何ですが、今生では、怖がりなのに、かなり頑張っておられると思います。勝手にハートハンター東京要員と
して働いてもらうように決めてあり、税金の面でも有利なように、昨年度から青色申告を始めました。
まあ工房凛が儲かってからの話なので、今は、絵空ごとですが。その母が「子供は怖い、何でも
ちゃんと観ている。大人は騙せても子供はだませない」と誰かに言っていました。
私はそういう子で、ある時「観ていた」ことを口にすると大人が怒り出すのを知って、
観たものを心のフォルダー長くしまっておく術を身につけたようです。普段は忘れていることが
多いのですが、批判者や比較者に出会うと、すらすらと「(身近な)○○さんも同様なことをして
いました」と口をついて出てくるので、我ながら嫌な奴です。ただ、どんな資質も神様が
何かのために使ってもらいなさいと与えてくださったと思うので、どう使ってもらうかが工夫の
しどころです。
私の中にしまってあったエピソードを使う時、若い人が主人公の時は、
未来ある身ですし、細心の注意を 払います。もちろん匿名で、なるべく誰のことを話して
いるのか分からないようにしますが、40歳以上の方々の話は具体的でいいと考えて
います。八つ裂きにされるのを覚悟して敢えて行います。こんな日本にしたのは私達
40歳以上の人間なのですから、若い人にどんどん使ってもらって浄化してもらおうじゃありませんか
そして、たとえ"家政婦"の私が
覚えていなくても、自分の魂は必ず自分のしたことを覚えています。何かの時、ひゅっと
出てきて、自分を脅します。謝れる時に謝ってしまうのが、その後の人生をまっとうする
ための近道。また、「なってはいけない大人」の例として言及されるのを回避する方法です。もしかすると「すまん」「ごめん」は自分を浄化し
引き締める言葉なのかもしれません。のちに謝罪のあった出来事は忘れてしまっている場合が
多いと思います。
去年工房凛で講演をしてくださった、天文学者の木内鶴彦さんは、臨死体験ならぬ、
もっと長時間死んでいたのに、戻ってきた死亡体験をなさったそうで、一度亡くなった時に
自分の人生を振り返って本当に後悔したとおっしゃっていました。人間には予想以上の
能力があったのに、知らず、使い切れなかったことに気づいたそうです。その後悔を経験したことが
今の活動の原動力になっているようです。私は正直、臨死体験に
ついては未だ腑に落ちていないのですが、父が亡くなる時に、「後悔」していたのを実際に聞きました。
まあ彼のように本当にしょうもない人でも、最期の最期に、色々なことが分れば合格(何せ彼は「今死ぬことの試験を受けてきました」
と言っていましたから)と思わせてもらったのは、ありがたいです。その後の人生、頑張らず気楽に生きられるようになり、それが父が遺してくれたふたつ贈り物のうちのひとつだと思っています。しかしながら、どうせ一度しかない人生、最期ではなく、今、思いっきり使い、使われて、後悔なく死んだ方がお得ではないでしょうか? |