出産でパワーアップしてしまったので、産後4ヶ月ともなると力が漲り,
色々な人と会って、エネルギーの 交流をしたくて仕方がなくなりました。それに、娘蕗妹と二人だけで日中過ごしていると英語を忘れて しまう。
そこで、4年前の2005年にとったタイ語の授業のクラスメートが、その頃から毎週主催しているFriday Lunchの仲間を我が家に招いて、蕗妹を披露。翌週の10月30日(金)は蕗妹と初めて二人でお出かけ。Friday Lunchのメンバーとお気に入りのお寺の境内にあるオーガニックレストランで食事をしました。 はりきって事前にバギーを購入して。私の段階的な社会復帰です。
話はいつものように迂回しますが、我が家で私と夫Nugoonは、英語で話しています。イギリス人の友達に 「何で、君達が英語では話す必要があるんだ?」 とあきれられていますが、仕方なし。
子供が生まれるまでに、私がタイ語を習得して、我が家の共通語をタイ語にしておきたく、妊娠中もタイ語のクラスをとったのですが、頑張りが足らず、未だ成らず。以前英語を身に着けようと必死だった、公用語が 英語の米国の会社で仕事を始めた頃に自分で自分に強いた、スパルタ的語学習得方式
1、本社から出張者が来たら、何時まででも飲みにつき合い、彼らの発音、なまりに慣れる。
2,社内では仕事をしながら、同僚の噂でも無駄口でも、耳を澄まして、ネイティブスピーカーの言い回しを覚える。
3,情報はなるべく日本語ではなく、英語のメディアから。
が仇となって、第二外国語以降は
楽しくないと学ばないっ!!。自然に身についたもの以外はあきらめる ことにしました。当時は頭の緊張が抜けなくなり大変でした。緊張をとるために、鯨飲馬食。お酒をバカバカ 飲み。スナック菓子を一晩で4袋食べ続けたこともありました。でも楽しいタイ語は牛歩の習得速度です。
やはり語学はスパルタ方式が良いのか??いえいえ、当時は怖ーいお客さん、我々の呼ぶところの「世界で一番要求の多いS友銀行」とお客さんとの約束を守らない傲慢で、製品管理のずさんなフィラデルフィアの本社の人間との間に入って、電話会議で通訳という、スリリングで過酷な状況に身を置いていたので できたことでした。若いからできました。そして、ここは緊張感のないのほほんチェンマイ。
タイ語はそのうち娘がさっさとマスターするので、彼女に教えてもらうことにしています。問題は私達のひどいなまりのある英語を娘に始終聞かせてしまうこと。私は蕗妹にはかなり気をつけて日本語でしか話しかけ ないことにしていますが、Nugoonは私には英語、蕗妹にはタイ語という切り替えが不得意なので、すぐに 強いタイなまりの英語で話しかけてしまいます。実際に切り替えはとても難しく、私も先の職場で日本語と英語をコロコロと器用に換えるバイリンガルと会話をするのに辟易としました。英語と日本語ではリズムも 思考方法も全然違いますから。
タイなまり英語の影響力はすさまじく、最近は私の英語まで日本語なまりでなく、タイなまりになってきてしまいました!!とほほ。そこで、なるべく英語を母国語とする人達と
話す機会を持ちたくて、Friday Lunchにはなるべく出席したいのですが、街外れの我が家からバギーを押して20分ほどの自動車の往来の激しい寺 まで行き、乗り合い自動車ソンテオかトゥクトゥクに乗って出かけていくのはなっかなか大変でした。それにチェンマイ迷物の排気ガス。帰りは友達が家まで車で送ってくれたので助かりました。昼食の時は皆に抱っこしてもらってご機嫌だった蕗妹は帰りの車の中で、日に当たりすぎて疲れたのかオイオイ泣き出してしまいました。結論は公共の移動手段を使っての外出は時期尚早。
家に帰って整体の本『育児の本』を読むと、
「表を散歩していい時期と、家で運動させた方がいい時期があるが見極めが難しい」
「海とか、映画館、デパートなどに連れていって消耗したというのは、大人の消耗。かえって子供のバランスを壊す。」 などと書いてありました。確かに。
おでかけは先の楽しみとして、英語は努めて会話のCDをかけることで改善を図りました。なかなかいい 調子です。
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蕗妹が本当に外出を楽しめるようになったと感じられたのは、8ヶ月目に入ってから。やれやれ、子育て というのは私の想像以上に”待つ”修行。毎日鍛えられている私であります。
「来てくれてありがとう。蕗妹」
♪すべての願い、望み、祈りが叶うこの世界に感謝♪
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