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思い起こせば
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09Aug2007

 さて、今回は長いです。最近になって、やーっとチェンマイに馴染み始めたなあと思えるようになった私ですが、 いやはや、ここまで来るのは大変でした。思い起こせば去年の夏などは最悪の状態でした。物事を
まともに 正面から捉えすぎる悪い癖と、日本のサラリーマン時代には、使えた特技、「人々の表情から心中を裏読みする」癖、よく言えば細やかな気遣い、これがタイ ではアダになり、妄想で頭がパンク寸前でした。例えば、 19DEC2006 にご紹介しました、太極拳グループでのできごと。ことの起こりは、蚊よけ
スプレー。
 平日、毎夕5時から、チェンマイの 最もにぎやかな地域、ナイトバザールの近くにあるお寺、ワット ロイクロで太極拳をするグループに参加しているのですが、当時、私は皆の前で、シトロネッラという植物のエキスを配合した、オーガニックの 蚊よけスプレーをたっぷり体に吹いてから臨んでいました。 ある日、今までにお会いしたことのない年配の女性が現れて、(ちなみにグループはほぼ大半が中国系の年配の女性です)ワット ロイクロに着くなり、「臭い臭い」と連発されました。私は今でも タイ語は不自由なのですが、その頃はもっとチンプンカンプンだったので、「あの子がそこに置いてあるスプレー をかけたからだよ。臭いよね〜」と皆の
非難が集まった気がしたのは「気のせいかしら?」と思い太極拳を続け ました。新しく登場なさった女性は私を避けて、離れた場所で、太極拳をされていたのですが、途中で突然「臭い 臭い。耐え切れない」というようなことをおっしゃって、私のスプレーに鼻を近づけ「マイチョーップ、マイチョープ」と 掃き捨てるように言って、去っていきました。皆は「ヤレヤレ」という顔をしていましたが、 私は「マイチョーップ」は確か「嫌い」という意味だったよね??と頭の中で何度も確認するのが、やっと。恥ずかしくて、 どういう反応をしていいか途方に
くれました。しかしながら、まあ、深刻に考えることもないなと思い、念のため、スプレーは翌日から、午前中だけの使用に限定しました。ですが、 ワット ロイクロに私が登場するなり、今度は 皆が「臭い臭い」を連発。私だけ、離れた場所で太極拳をするように場所を指定されました。離れた場所で 仕方なく太極拳を続けましたが、事態をより深刻なことと受けとめ、、シトロネッラの使用を止めました。それでも、既に洋服に 染み込んでいたのでしょう。また翌日も、私の顔を見るなり「臭い臭い」と言われ、英語を話せる女性が呼びだされてきて、「年配の女性が気分が悪くなるから、スプレーの中止をやめてくれ」と言われました。私は既に、使用を中止した 旨を伝えましたが、つぎの日も「メーンメーン(臭い)」と隔離された場所を指定されました。
今なら、私だけが 皆から離され、一人太極拳をする構図を思い出すだけで、笑ってしまうのですが、当時の私は不幸の極み。 とうとう、あまりの悲しさに参加を止めました。子供の頃「臭い」と言って排除されるイジメほど悲しいものはないと思いましたが、もしかして、私も誰かを「臭い」と言っていじめたのかも?因果応報なのか?と考えたり、他にもタイ人社会に受け入れ られないという思いがあったので、夜中に突然泣き出して、夫を驚かせたりしました。以前に通ったタイ語の語学学校 の先生が「タイ人はニコニコして、親しそうに見えるが、外国人とは一線を画す国民です」と言ってたなあ、つくづく納得と。それでも、一日ジュエリー 製作に専念して偏り疲労した私には、夕方の太極拳は魅力的で、いつか気持ちが 楽になったら、また参加させてもらおうと、時期を待ちました。お月様の形が一巡した頃、別の オーガニックの スプレーが見つかったこともあって、思い切って夕方ワット ロイクロに行ってみました。いつも皆の前で指導をなさる 先生が私をご覧になって、「どうしてたの?どうして来なかったの?」と聞いてくださったので、 夫に教えてもらった、カタコトの
タイ語で、 新しいスプレーを探すのに時間がかかって今まで来られなかったと言いました。 新しいユーカリのスプレーは皆に承認されたので、とても 誇らしい気分でした。私の勇気が皆の心を開いたのだと思いました。
 一山は越えたものの、馴染めない感覚は生活の其処此処にありまして、去年の秋に日本に 帰国した時は、這々の体で逃げ出したという感じで。そんな時にはやっぱり日本の神様におすがり するのが一番。この日記でも何度か触れた、宮司で、易をなさる弘祥先生の お家の門戸を叩きまして、不満を一気に述べましたところ、 「それは大変だねぇ〜。どうしてそんな所に行っちゃったの?」と一言。そのお言葉で、いきなり
自分が観え、穴が あったら入りたくなりました。全て自分で 選んで行ってやったことなのに、どこか他人のせいにして、不満で一杯の私であったことに気づきました。私の 反省した様子を観て、「日本人なんか、信用されなくて当たり前なんだよ。でも、あなたがタイ人になろうとして いることは、とてもいいよ」とおっしゃいました。ですが、先生が何をおしゃったのか、すぐには腑に落ちない感じでした。 他に、日本のヒッピーの元祖、自分探しをして、日本中を旅して周り、奄美大島の平島の島民になろうと 努力した兄貴分、尚さんに、太極拳での出来事を話しましたところ、 「それは仲間に入れてくれるってことだよ。仲間に入れる前は意地悪をして試すんだよ。それまではお客様」とのことでした。このように、ちょっと近視眼になっていた状態を外す大人がいると、日本で深刻になっている子供のイジメも随分状況が変わると思います。
 さてさて、経験豊富な方々のありがたいご助言に、気を取り直してチェンマイに戻りました。しばらくして、私にワット ロイクロの太極拳を紹介してくれた、04MAR2007の日記でご紹介しました)イスラエル人カップル、ナターシャとアリーが例年のように避寒のため に、チェンマイにやってきて、太極拳に参加するようになって、だんだん物事が観えてきました。彼らは、必ず、タイの子供たちのように丁寧に、手を合わせて
「サワディカー」とタイ式の挨拶をして太極拳に参加します。これはタイにいるなら、当たり前のことなのですが、犬も歩けば外人に当たるというほど沢山滞在している、西洋人も、日本人も、 恥ずかしさもあるのでしょう、挨拶は良くて、英語、大抵は挨拶なしで、いきなり、切りだす場面を多く目にしました。 それから、ご夫君のアリーは太極拳の後、毎回先生のお宅まで、太極拳の音楽を流すための、大きなスピーカー付きのテープのプレーヤーを運びました。 その時初めて、「参加費無料なので、入れてもらって当たり前」と思っているところのあった私に 気づきました。先生はお忙しい家業の間に時間をつくって、わざわざ着替えて、大きなスピーカーを 携えて毎日お寺にきてくださっているのです。イスラエルのような歴史を持った国の心ある人は他人の国で 暮らすには、いかに繊細さが必要なのかをご先祖様の代からの経験で学んできているのでしょう。
ナターシャとアリーは避寒を終えて、春にチェンマイを離れる前に、場所をお借りして、お世話になったワット ロイクロ のお坊さんにご挨拶して、喜捨をしてから去っていくことにしているのも 知りました。そんな彼らが道をつくってくれたから、私がすんなり仲間に加えてもらえたので、まったくもって、先達のお陰です。
 また、ついこの間、チェンマイの街の古本屋で手にした、マレーシア人特派員の東京滞在記「アジアから見たニッポン」という本には「日本は多大な被害を与えた中国に対してはやっと、’60年代初めに、東南アジアに対しても’60年代までは あくまでも挨拶程度にしかつきあってこなかった」と書かれていました。私達
日本人は国が海に囲まれ、鎖国していた期間も長く、外国と接触する機会が少なかったので、他の文化 の方と接する時には、どうしても無神経になりがちなのだと、前にアメリカの企業で働いていた時にも、身に染みて感じていたはずなのですが、まだまだ、できてない私です。私の代だけでは無理だとしても、せめて、次の代にはアジアの友人 として、自然に仲間に入れてもらえるように日々努めたいです。



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