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リトルジェントルマン再び
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ヌクーンが大幅に手直しをした作品
ママのダメ出しを経験した後の
作品。うずまきが太くなったり細くなったりしているので、「またダメだ」と悲しそうな顔をしていた。次がある頑張れ!

10Aug2007

「また戻ってくる」と言って、ビザの更新にミャンマーに行った10歳のカナダ人の少年 サイラスが今週帰ってきた。 「しばらくだね。インドに行っていたの?」と聞いたら「彼は非常に来たがっていたのだけれど、僕が忙しくて連れて 来られなかった。僕が二ヶ月のマッサージコースをとったからね。今では僕は先生なんだ..」と
息子のことより、自分のことを説明しようとする、ちょっとアントニオ・バンデラス似のお父さんの横で、静かに微笑む、 映画「ヴェニスに死す」 の美少年ビョルン・アンドレセンみたいなサイラスの方が大人に見えて、少し笑えた。サイラスは本当に 「来たがっていた」らしく、新しいペンダントのデザインを携えてきた。(左の写真の中の上右)前回の5日間は工房 の用意したサンプルのデザインを言わば、コピーして作っただけなのに、
ちょっとの間にバージョンアップしたみたい だ。先生ヌクーンにデザインを説明するためにパターンを切って用意してきた念の入れようだった。石をセットする前、 2層になったペンダントの花びら状の上層部分をロウ付けした直後に、本人もその出来に感激したらしく、見せに 持ってきてくれた。「すごい!私もこんな心を動かす物が作りたい」と、彼が手渡してくれた時に、自分の作品に 対する評価基準のようなものが私の中でカチッとセットされた。前回のように写真を撮らせてもらう約束をした のだけれど、残念ながら、シャッターチャンスを逃してしまった。上の写真は全てサイラスが作った後、ヌクーンが 大幅に手直しをする事態になったのだ。
ウチでお母さんに出来上がった物を見せたところ、「線が曲がっている」 等々の理由でダメ出しされ、翌日
バンデラス父さんがママの意に副うように、ヌクーンに手直しを依頼したので みーんな違うものになってしまった。「どうせ君が手直ししても、お母さんの気にいらないから」と偏屈で職人気質 のヌクーンが怒りながら、キレーイに改造した。親ってそういう風に子供を支配しがちなんだなぁとつくづく感じた。私が 今もタイから年に2回は稽古に通っている、整体の鎌倉稽古場の先生は、ご長男が何かをする前に、 ちらりとお母さんの
顔色を伺うようのを見て、ご自分の子育てを見直すべく整体の世界に入ることになったとおっしゃっていた。整体の世界では、「親の意のままに動くような弱い子供を育ててはいけない」と言われる。 本当に気をつけなければ。
 私もヌクーンも、せっかくの作品をだいなしにされたサイラスを気の毒に思ったけれど、子供って、そういう経験も 一過程にして、どんどん成長していくんで、周囲が良い悪いを判断するのは僭越なことだと感じた。
お父さんがマッサージの勉強に行っているせいか?皆がお昼にでかけても一人残って、ピーナッツを食べていたので、思い切って 昼食にさそってみた。ちょっと子供っぽい両親には慣れているようだ。ベジタリアンなので、場所選びに 少し戸惑ったけれど、三日目の今日は思い切って、極めてローカルな、ワローロット
マーケットの中の お勧め麺屋に連れ出してしまった。(両親に出来事 を逐一報告する子ではないとの観察の結果。笑)麺はお好みではなかったみたいだけれど、食事の後、いつもの ように果物を買って(今日は今が盛んのラムヤイ。竜眼に似た果物)ガツガツ食べながら歩いていたら、 「アロイマイ?(おいしいだろう?)」とか「あんた達の子供?」とか、私達タイ人、日本人、 カナダ人の変わった組み合わせに、市場の顔見知りが普段以上に話しかけてきた。外人が多いチェンマイでも 現地人と外人の間には見えない壁があることは先の日記でも述べたけれど、サイラスにとっても初めて体験したチェンマイだった と思う。
 私はイタリアで初めての女性の医学博士で、教育者のモンテッソーリが始めた教育を実践する 幼稚園を卒業した。叔母が幼稚園を経営していたこともあって、全くもって、どっぷりつかってしまったので、 その後の社会適合に結構苦労した。けれど、今になって、とても良かったと感じる。 私達のモンテッソーリ子供の家には色々な子供達が通って来ていた。外人も もちろん。国境や人種や肌の色や宗教の違いを超えて、世界に共通する教育方法をモンテッソーリが 目指したからだ。大人になってから、それまでに接触したことのない
文化の、見かけや違う、感覚が違う人を 差別しないように努力するのは、実際のところなかなか難しい。
私は、一昨年前までアメリカが本社の会社の 東京支店で働いていたが、そこは外資系というより、アメリカの会社で、公用語は英語、治外法権が 許されているような?環境だった。その中で、最初、英語が下手で引け目があった(何せ英語を本腰で始めた のは30歳を過ぎてからだから)けれど、他の英語 のうまい日本人と比べて、体が逃げてないな、ありがたいなと感じ助けられた。自分の 子供が生まれたら、できるだけ色々な経験をしてもらいたいなと思う。でも、くれぐれも支配には気をつけなくては。 サイラスには往来の激しい到来を一緒に渡る時に、思い掛けず背に手を置いてしまう、という領海侵犯を 犯してしまった。「これって
整体の愉気(手当て)だな」と思った。彼がちゃんと受けてくれたので、何度も道を渡る 度に愉気をしてしまった。どんな青年になってチェンマイに帰ってきてくれるか本当に楽しみだ。



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