私がこれからやろうとしているのはハートハンティングという仕事。その仕事の説明をする前に
私が2年前までしていた仕事を紹介します。私はアメリカに本社のある、
コンピューターシステムを開発し、販売する 会社の東京支店にいました。その会社では
銀行や証券会社の運用するデリヴァティブ資産を管理するソフト ウェアを扱っていました。
世界6支店で,働いている人が合計で200人くらいの会社です。電話やコンピューターのチャット機能
を用いて、ほぼ毎日、また、
世界各地で関係者が一箇所に電話をかけ合って、話し合いを行うカンファレンスコールと呼ばれる、
電話会議で、週に2回くらいは本社のプロダクトマネージャーや東欧などにいた
プログラマーと連絡をとり合いながら仕事をしていました。コンピュータ業界は人の移動が激しく
今より高給で待遇の良い会社があれば、明日にでも他所に移りたい人ばかりで、大抵の人が
求人サイトに登録して転職情報をもらっていましたし、実際に「先週までいた○○支店の××さんが
今日連絡したら辞めていた。」ということもあり、業界内で人がどんどん動いているのが
伝わってきました。東京でもバンバン人が出入りし、6年半も居残って、長老的存在になって
しまった私の所には、人が辞めるたびに、負担が来ました。それでも、人が短期で動くことを
前提にした業界なので、効率化、システム化が進み、負担は少しずつ
軽減されていきました。会社の方も、景気が悪くなると非情なリストラを敢行しましたから。
一番儲けていた東京支店ではありませんでしたが、本社で行われたのは、選抜した従業員に、突然午前中にemailで解雇を
言い渡し、情報の社外流出を避けるために、昼食後には会社に入れない、
といった極めて残酷なものでした。「ウチの業界は雇用形態では最も進んだ業界」とため息まじりに
友人に実情を話したら「最も”すさんだ”業界だね」と言われました。ヘッドハンタービジネスが暗躍する場所でした。
私も幾つか紹介を受けて面接を受けましたが、職歴書を事前に提出してあるのにもかかわらず、面接の場で私の範疇外の業務の人員を募集をする会社であることを知ったり、毎日のように、営業職の人間を、引き抜く(年俸が高いのでヘッドハンティング会社に多大な手数料をもたらす)ための、厚かましい電話の対応にうんざりするなど、良いご縁はありませんでした。それでも、その前に9年ほどいた日本で1,2を争う財閥系の総合商社での、終身雇用が前提の風通しの悪さと比べると、やりたいことが見つかっていない若い間は、少々手荒でも、
流れている業界にいることは沢山のことが経験できて、とてもいいことだと思いました。もちろん、私が転職できたのは
最初の会社のネームバリューと、9年間に渡って、心ある日本人の先輩方に社会人として鍛えあげていただいた
からなので、最初から、外資系の荒波に揉まれるより、歴史のある日本の会社で社会人としての基礎
を身に着けてから、次に移るのはとても良い進み方だと思います。
飽食の日本にいて、一番みじめなのは、やりたいことが見つからない、見つけるために動けないことではないでしょうか?
自分のやりたい仕事が見つかって、自分が社会に使ってもらえる、色々なことを経験させてもらえる
状態ほど幸せなことはないと思います。それを考えると、今の日本の若い人が働きたくないと考えて
いるのはとても不幸なことだと思います。私は幸運なことに、周囲のおせっかいな人々によって、社会に押し出して
もらって、意図せずサラリーマンを始めてしまったけれど、そのおせっかいがなければ、今も立ち止まって
「何をすべきか?」と考えるだけのモラトリアム状態が続いていたかもしれません。
私が恩恵に あずかった、そのおせっかい、紹介業をやりたいのです。「人的資源の最適配分をもくろんで、
若い人を中心とした仕事の紹介業をしたいんだ。心を大切にしながらね」と日本通の
イギリス人に話したら「それなら、 ヘッドでなくハートハンティングだね」と名づけてくれました。聞いた当初は「だっさい!」
と思ったけれど, 何だかとっても良い名、ハートハンティング。対象者は、最初は出身地域を限定して、アジアの
女性。女性が幸せになれば、子供も男性もまとめて幸せになれる、社会全体の幸せ度が上がると、結婚の
仲人のような地味な仕事で、大きなことを目論見んでいます。紹介する仕事はお金を稼げるかどうか
に関わらず、何でも社会に必要とされていること。特に、日本で実際に起っているように、資本主義が進むと
『お母さん業』は、どんどん軽んじられるので、保護の意味もあって、「女性が子供を育てながらも、誇りを持って社会とつながっていけるような」仕事を紹介したいです。そのために協力してくれそうなパートナーの男性の紹介も。私自身も子供を育て、子供に育てられる機会を持てるように、神様にお願いしています。一応、期間を設定して42歳まで
待つつもりです。ダメなら、別の方法で”お母さん”を勉強することにして。
私は離婚を経験しておりまして、離婚は二度としたくないし、シングルマザーでいいかな?と最初は思っていたのですが、この日記にちょくちょく登場していただいている、今日から預言者と呼ばせていただくことを決意した、宮司で易をなさる弘祥先生に3年前に
「あなたは結婚した方がいい」と強く勧められ、「どうせ、辞める会社なら、来年はしょっちゅう休暇をとって
西南の方向に行きなさい。幸福がみつかるよ」と言われました。お話を伺った時、休暇をとるのも前後
の引継ぎ等が面倒なので思い切って辞めてもいいなと思いましたが、サラリーマンの自分というのには、とても執着が
ありましたから、辞めるのは思い切りが必要でした。どういう分けか、2005年の春、私の所属する整体の研究所の先生の京都での講義を聞いている途中、突然「辞めよう」と思い立ち、翌日、すぐ上司に辞表の旨を告げられました。退職してから、3ヶ月、
毎日のように、整体の稽古で感覚を鍛え 東京から見て、西南の方向で呼ばれたところはどこへでも、伊勢神宮でも門司でも鹿児島でも行きました。どんどん呼ばれているうちに、チェンマイで今の夫と出会いました。毎月新月と満月に「私の夢の実現に協力してくれ、それが彼の夢の実現にもつながる人」と会えるように願いを書いていましたが、正にその通りの人なので、不思議な力に、ここ最近ちょっと恐ろしくなっています。
ハートハンターは常に生の社会を、商売がいかに大変かを
常に感じていないといけないと思い、チェンマイでジュエリー教室を7年間開いている夫とチームを組み、
銀とジェムストーンを用いたお守りを作って売る、
日本でも作り方を教える工房を開きました。その他、情報収集のために、ご飯会と称するものを開いています。その時々で、「ヨガ会」、「モンテッソーリ勉強会」
と名前を変えてきましたが、今は露骨に「何かやりたい!行動する女性のご飯会」という名におさまっています。
ありがたくも応援してくださる方のお陰で、私が日本に帰国するたびに開かれ、次回は9月17日月曜日に決まりました。(ご興味のある方はメールを下さい。)どの本か
忘れてしまって、恐縮ですが、田口ランディの本で佐藤初女さんという方が、岩木山麓で
森のイスキアという場を持たれ、心を取り戻すために訪れる方と、
ただ、ご飯を食べ、話を聞くということを続けていらっしゃっていると知り、ずっと敬意を抱いていました。
(余談ですが今日森のイスキアのことをネット検索している内に、20歳代に足しげく通っていたイタリアの
イスキア島は私の思い出の地であることを思い出しました。なんだこりゃあ、ブルブルッ)
4月に東京からチェンマイに戻って、念願のADSL回線を引いたので、Skypeという新兵器、
無料国際インターネット電話が使えるようになり、東京で活躍している帽子作家の 友人に、ほぼ、リアルタイムで流行の流れや若い人のこと、東京の
街の移り変わりといった情報をもらえています。
その昔、大学一年生の時に新聞で、台湾と中国の関係を取り持つ重要な人物として、アメリカの議会の
ロビイストも意見を仰ぐのが、台湾の一介のオバサンという記事を読んで、「こういうのをやりたいんだな」と
思ったことが蘇ってきました。女性は本来生まれながらのアナーキストだと思います。子供を育てるために
神様にいただいた、「物事を柔軟に受け入れられる」才能を使って、夢はでっかく、アジアの情報通をめざします。
一生続けられるように、整体の稽古で常に精進しながらも。
これも、預言者、弘祥先生が「あなたに お金は貯まらないよ。お金なんて
言ってないで、楽しいことをやりなさい。物を作るのは、あなたにとても合っている。何か大きなことができるよ」と言葉かけして、いただいたので、思いきって飛び込めたのです。
その他、ここまで導いていただいた方々、森羅万象全て、本当にありがとうございました。(合掌)
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