4月の調子の悪い時に、藁をもつかむ思いで、始めたことの一つに「胎児への愉気」があります。
愉気とは子供に熱が出た時にお母さんがふと額に手を当てるような行為をさします。なにもたくらまず、無心で行うこととされています。野口晴哉先生の「誕生前後の生活」を開き、パラパラとめくっていたら、「胎児への愉気」のページで手が止まりました。今まで、子供への愉気は出産後に行うものと思っていましたが子供がお腹にいる間に始めるのだと知りました。「誕生前後の生活」は異国の地で初めて出産するため、バイブルのように繰り返し開いていたのですが、思いこみを外すのは本当に難しい。
まあ、胎児への愉気を始めるのにちょうど良い時期だったと考えることにしています。
お腹の子供の後頭部に当たる場所に手をあてます。後頭部人間の体で最初にできる場所で、人間の生きる元の主体だそうです。片手を子供の後頭部に置くと、自然にもう一方の手が私の体の別な場所に当たって、子供に愉気しているのか?愉気してもらっているのか?分からなくなります。愉気は天心で、ポカンとだそうです。何か治そうと思うと脅迫になると
整体では教えられました。目的を持ってしか生きてこなかった私は、この胎児への愉気で
初めて、”たくらまず、ぽかーん”とが経験できました。
お腹の子供は私であって、私でない存在。胎児への愉気の経験を味わっておくと、「子供のせいで、こんなに犠牲になっている云々」という発想は生まれてこなくなるのではないでしょうか?間もなく、我が子は私である存在ではなくなってしまうので、ありがたく、この心地を楽しませていただきます。
(合掌)
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