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精霊の祠
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うちから100mくらい歩いた空き地にある祠
和泰折衷の趣向で、ローマのマリア
様並みのハイセンスな祠をめざします

16Aug2007

 日本は八百万の神様のいらっしゃる素晴らしい国ですが、タイも仏教だけで なく、土地の精霊も仰がれ、チェンマイの街のあちこちに、ご先祖の霊や天使を祭った、家の形をした小さな祠が あり、とても大事にされています。しかしながら、ここでも、西洋文明化および、資本主義化の影響で、そういった土着の文化が失われつつあるのは悲しい限りです。

私は20代の頃、イタリア狂で、家族が一時ヨーロッパ域内に住んでいたこともあって、15回以上通いました。その頃、サラリーマンを続けながら、デザイン学校や帽子を作る学校 に通っていたので、チャンスがあれば、デザインかファッションビジネスに転職を狙っており、 影響を受けたくて、イタリアに足繁く通いました。
しかしながら、ある時ローマやミラノの通りの彼方此方に祭られていた小さな祭壇のマリア様のお召しになっているガウンを見て
「フェレもアルマーニも、皆、子供の頃からこの色彩を見て 育っているから、あんな服が作れるんだ。洋服の色彩はとてもじゃないけれど、日本人の私には無理」
と尻尾を巻いて退散してから一度も行っていません。いつか自分の物を持って、また行きたいと思っています。

その後、自分の文化を基にした何かを作りたいと探している内に、チェンマイで銀細工に出会いました。 その技術はアジア共通の技術で、日本でも、錺り職と呼ばれる職人が帯留めやかんざしを作った技術で ありました。ご先祖様が関わり、私の血に受け継がれてきた何かが私の銀の作品作りに影響を及ぼして くれたらなあと願いながら、毎日チェンマイで製作に励んでいます。つまり、イタリアの祠が私の人生を変えたのです。

文化って、普通の人が生活している場に如実に表れますよね。 ですから、タイ人が日本人と同様に、非科学的だと言って、自分の神様を捨ててしまうのは、とても残念で、 どうにか引きとめたいです。科学先進国イタリアだって、自分の神様を崇めているのですから。マリア様は イタリアにキリスト教が伝来するの前から
あった民間信仰と結びついていると聞いています。

 さて、難しい文化論はさておいて、私達夫婦はこの2月に銀行の競売物件だった現在の家を購入し、 3月に引越してきました。値段は競売物件ですから、当たり前なのですが、それにしても市場価格より 随分と
安く買えました。空き家にすると、何者かが不法侵入して、住み着いてしまうことの多いタイで 2月の終わりまで、のっとられないように、その家に寝泊りしていた元オーナー及び銀行との譲渡が、 異常なほど、何事もなく済み、ローンもさっさと設定でき、3月の半ばには引越しができました。同時期に 2組の仲間が住宅或いは住宅地を購入した例と比べると信じられない順調ぶり。 実はスティーブンキングのシャイニングのような家ではないか?と恐る恐る移り住みました。 が、日本からお札を持ち込んだお陰か?特に異常は感じられず、 「こんないい家を手放すなんて、どうして?」と夫と二人で不思議に思いました。元オーナーには何度かお会い しましたが、少しルーズな所はありますが、身持ちも、人も良さそうな方でした。何故彼が手放さなければならなかったのか、全く不思議です。

風水に詳しい、夫の従姉妹が家に遊びに来てくれて、観てくれたところ、家のすぐ前の池は、運気が流れるのを 妨げるので埋めた方がいいと言われました。うちは幅が約20m奥行きが80mと、ウナギの寝床のように、奥行きの ながーい土地です。確かに、西側に位置するドイステープ山(私の生まれ年、山羊年(=羊年)の有名なお寺が あります)からの霊気が妨げられるような気がして、埋めることにしました。

この週末で引っ越して、満5ヶ月になります。運気が停滞しているのは仕方ないこととしても、ここ最近、なんだか、ちょこっ、ちょこっとおかしなことが起きています。それは北海道に別荘を建てた30年前から 霊媒体質となった、作家佐藤愛子さんが、ご自分の別荘で体験された、怪現象をごくごくささやかにしたもので、 未だに、私達の勘違いなのかどうか分からないことばかりですが。

例えば、ある日仕事の帰りに長時間の買い物をして、帰宅すると水道がほぼ全開の状態で、ホースから出っぱなしになっているのを発見しました。 夫が愛好している蘭の 水やりを終えた後、出しっぱなしにしたようなのですが、几帳面すぎるほどの夫がそんなことをしたのか 疑問です。1,000バーツ(4,000円くらい)に上るかと恐れた、その月の請求額が、前月と40バーツ(160円) くらいしか違わず、164バーツ(700円くらい)。その他、道を行くと、犬が寄ってきて、怖がって、やたらと吼えるとか、 多分私はしていないと思うのですが、洗濯機の水道がやはり流れっぱなしになって いたことを夫が発見したとか。 私の名を2回も呼ぶ声がしたので、夫に聞いてみると、呼んでいないとか、夫も同じ経験を何度かしています。 ちなみに、私達は二人だけで暮らしており、同居人はいません。どうも物の怪屋敷らしいです。

私はこの所、アメリカの占星術し、Jan Spillerの勧めに 従い、新月に「森羅万象の全てのお力をお借りして」達成したいことを祈願しているので、 とてもありがたいことですが、これから、我が家を、小さなお客様を中心にお招きする場所にしたいし、子供が生まれた時に、いたずらされたくないしで、ウチにも祠があったらいいなと思いました。しかし、夫は西洋化したタイ人なので、そういう神がかり的なことを嫌います。お寺に行くのもしぶしぶなほどです。

そこで、 思い出だしたのが、家から100mほど歩いた空き地にある。 天使の祠サン タパン。何も自分の祠でなくてもご近所であれば、十分です。人々に忘れられた 場所のようで、枯れ草が積もりっぱなしになっています。そこを掃除して、ウチの物の怪さん達と仲良く やっていけるようにお願いすることにしました。丁寧に何度もバケツで水を運び台を洗い清めました。 小さな家の形をしたなかに、陶器の人形が置いてあるのですがそこは蟻が巣を作って卵を溜めていたので、 次回以降の掃除の時に清めることにしました。急激な変化は神様にもご負担でしょう。 そして、何かのためにと思って日本から持ってきた和ろうそくを灯しました。

 なぜ、私がそのように偏執的に土地の神様にこだわるのかといいますと、ある実感があるからです。 子供の頃私の母はとても頑張って私と弟を育ててくれました。往復4時間(その内歩きが1時間)かけて 週に3回モンテッソーリ教育にのっとった幼稚園に連れていってくれました。食べ物も今は沢山のお母さんが 配慮なさっていますが、その頃では珍しく、有機栽培の物を選んで料理してくれました。お菓子もほとんど 手作りでした。大変ありがたかったのですが、近所の友達といつも違っていたので、いつも
「どうして、純子 ちゃんは遠くの幼稚園に行っているの?」
「どうして、みんなのママと違うところで、お買い物するの?」
と 聞かれ、とても仲間に入りずらかったです。いつも受け入れてもらえていない居心地の悪さがありました。

私がチェンマイに移住を決めた一番の理由は、子育ての場所に適していると思ったからです。 日本では、
どうしても他人と違うということを問題にします。 4年生の時に、私立の小学校から公立の小学校に転校した私は、他の女の子と違い黒い ランドセルをしょっていました。学校帰りに一人で道を歩いていたら、急に後ろからランドセルを押し 下げられ、知らない子に
「黒かばん!」
と言われました。
チェンマイに定期的に来ている日本人の方に、 私がビザの更新をする時にイミグレーションの査察官が自宅まで調べに来た話をしました所
「帽子かぶって、変わった服装しているからじゃない?」
と言われました。他の国籍の人にもイミグレの査察 のことを話しましたが、そういった反応は皆無でした。
長年つきあっている友人にまで、「人と違う」ことを 問題にされるので
「日本の文化に染みついたことで、仕方ない。やっぱりチェンマイに来てよかった」
と思いました。なぜなら、チェンマイにはターバンを巻いたインド人もいれば、黒い布をまとったイスラム系 の女性も、ちょっと、ミスマッチにタイのパンツを穿きこなすヨーロッパ人もいます。また、サンフランシスコと 並ぶゲイタウンで、女性の服装を自由に着こなす男性もしょっちゅう目にします。夫の親戚の高校生に 聞いたら、彼のクラスにも何人かいるとのことです。みーんな違って当たり前です。 私達の子供達は、人と違うことは気にせず、したいことを思いっきりして生きて欲しいです。

 疎外感のある子供の私が、いつも逃げ込んでいたのが、母の実家でした。 私が生まれてから10年間住んだ場所は、自然にもあふれ、それほど悪くなかったのですが、 小学校4年生から移り住んだ新興住宅地は、とてもとても。いられる場所ではありませんでした。 大学に入ると同時に、逃げ出して祖父の家に居候しました。

ずっと居心地が悪かった理由は両親の夫婦喧嘩の せいだと思っていましたが、ここチェンマイに来て居を
構えてから、もしかしたら違うのでは?と 思い始めました。土地の神様にちゃんとご挨拶をしていなかったせいではないか?と思い至りました。 祖父は明治生まれで海外の赴任暦も長く、米よりパン、魚より肉を
好み、正に文明開化を生きたような 人でしたが、地元の八幡様やお寺には、ことあるごとに出かけていました。その祖父の家のあった場所に 今工房凛を開いているのですが、チェンマイに移住した後でも、帰ると
いつも私を迎えいれてくれて、 家の中では何の心配もしないで、安心できます。それは祖父母がちゃんと
土地の神様に、家内の安全を お願いしてくれていたからではないかと思います。

親の家のある元新興住宅地も緑が生い茂り、 今では新興住宅地と言えなくなりました。ほとんど親の家に寄りつかなかった私が去年、その町 を歩いている時ふと
「悪い場所じゃないじゃないか」
と感じたのです。それは、4年前に父が亡くなる時 に私が地元の神社にお参りに行き、彼の寿命をまっとうするためにお祈りして、よくして、いただいてから、 ことあるごとに、そちらに参っているからではないか?と思い至りました。子供はそういうことに、とても敏感 です。実は両親のたび重なった夫婦喧嘩もそこに理由があるのでは?皆さんはご近所の神様といかが ですか?

 神様は本当によくしてくださるもので、雨の中バケツを運ぶ私を見て、バイクで運んでくださろうとした
お隣さん、「宝くじ当てたいんでしょう?」と声をかけてきた、祠の隣に住まれている男性の 二人も顔見知りができました。”引越しそば”という日本の良い習慣の実行を考えあぐねていた私には とても有難い機会でした。外で家の補修作業をしている夫は「何故だか蚊の数が減った」と首をかしげて います。



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