私がチェンマイに移住することになったのは、この土地に呼ばれてだと勝手に思っています。それは第二次大戦中に物資調達のためにタイに駐在していた、母方祖父の築いたご縁が影響しているのではないかなぁと思っています。
チェンマイに移住してから、毎年地元の日本語新聞ちゃーおに毎年夏に載る 「インパール作戦の中止命令が出た7月20日にタイビルマ方面から引き上げて来られて戦没、病没された方々のための追悼式が行われるので列席しませんか?」 という呼びかけに気になっていました。祖父にご縁があった方が眠られているかもしれないと。
日本に住んでいる時には、広島や長崎で毎年夏に行われる原爆慰霊式典を中継するテレビ番組を 「自分に関係のないこと」 と捉えていたのに私も本当に変わったものです。
タイに住み初めてから、特に、驚いたことに、日本人であることを褒められることが非常に多いのです。
先日一緒に食事をしたフランス人、彼はその昔日本人のガールフレンドと京都に
住んでいたのですが 「先進国であるフランスと日本は文化が似ていて、経済の発展度合いの異なるタイは別の文化を持つと思っていたけれど、日本に住んで認識が改まったよ。切符売り場でおつりを取り忘れた人に、気づいた後続の人がお金を渡してくれるなんて、我々の社会とは大きく違う、むしろフランスとタイの方が似ている。日本って 物凄く強い文化を維持し続けているんだね。」 といたく感心の様子でした。
東京に遊びに来た同じくフランス人の女友達も
「地下鉄に乗る人が降りる人の邪魔にならないように列をつくって待つなんてパリでは考えられないわ!」 と。
そういえば、米国の会社に勤めていた時に、フィラデルフィアからの出張者が六本木で羽目をはずして パスポートを失くしたと翌朝慌てたら、誰かが拾って飲み屋さんが預かってくれていました。 「こんな安全な国他にはない!!」 と驚かれて、こちらがびっくりしたこともありました。
まだまだあります。2002年くらいに、縁あって銀座の世界一高級なダイヤモンド店の支配人を訪ねた人から聞いた話。 「日本に出店した、その狙いは?」 との問いに
「日本人の顧客がターゲットではないのです。これから中国を始めアジア諸国に金持ち我登場するので、彼らが狙いです。でも出店は暴動の心配のない安全な東京で。日本人は働き者ですし。」
日本に住んでいた時には 「勤勉で正直なんてぇ(誰でもできる)」 と少しも価値のないことと考えていました。
幸田露伴の言葉に
「今日吾人は古代に比し、もしくは原人に比して大なる幸福を有している。これはみな前人の植福の結果である。すなわち、よき林檎の樹を有しているものは、よき林檎の樹を植えた人の恵を荷うていうものである。すでに前人の植福のおかげによる、吾人もまた植福をなして子孫におくらざるべからずである。真の文明ということは、すべてある人々が福を植えた結果なのである」
美輪明宏さんが著書「愛の話 幸福の話」で
「日本がテロや報復の標的にならずにすんでいるのは、ボランティアでアフガンの人たちの命を支えているわずかの日本人医者や井戸掘りのひとたちがいてくれるからです」
と書かれていましたが、ここ北タイにも、20年もの間、この地で戦死したり、病没した日本兵の遺体を集めて、慰霊を続けていらっしゃる方々いました。遺体は見つかっただけでも1万8千体。ほとんどが、餓死かマラリアによる病死だそうです。上の写真はその遺体が放置されていた井戸に立った記念碑です。
そして、日本軍引き上げの際には地元の特に少数民族の方々が水や食べ物を分けて、助けてくださったそうで、その方々の恩に報いるために、里親制度を運営したり、教育基金を作って、めぐまれない少数民族の子供達に教育資金の援助を地道に続けている方々が毎年7月20日に追悼式を続けていらっしゃるのです。日本から読経にいらしたお坊様も、ご自身が日本を救うためと二等兵に志願なさって、米軍の爆撃を受け沢山の戦友を亡くされるという経験をされた方で、上げられたお経は、他では聞いたことのない力のこもった腹に響く哀歌でした。
来年は娘だけでなく、夫も、他の仲間も一緒に参加したいです。政治が混乱して、平和が危うくなっている今こそ、静かな心で、犠牲になった前人、地道な努力を続けている方々にいただいた福に感謝したいです。合掌
追伸 今タイでは「おしん」が再放送され、我が夫は毎回のがさず見ています。「おしん」はアジアのみならず、中東や南アメリカでも高い視聴率だったと聞いています。台湾人の親友も大ファンでした。貧しくても正直に与えられた環境に感謝して真面目に働く「おしん」の姿は失いかけた日本人、いや世界の人共通ののあるべき姿なのでしょうか?
♪すべての願い、望み、祈りが叶うこの世界に感謝♪
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