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タイの新年と私の新年
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初めて作った梅ジュース2種。氷砂糖によるものと蜂蜜によるもの
チェンマイ産梅干。塩加減が程よく、思った以上に美味しい


22APR2009

皆様明けましておめでとうございます。タイは毎年4月に訪れる満月に暦が変わります。旧暦によると毎年開始日が動くので、便宜上4月13日を新しい年の開始日と 国は定めていますが、地元の人はちゃんと4月9日の満月には晴れ着を着て祝っていました。今年は仏暦2552年です。そして私は今日4月22日でとうとう42歳になりました。いやはや長い歴史を生きています。若い人と接する機会が多いので実に感慨深いです。

さて、今年のタイの新年は4月8日に火蓋がきられた、その名も「赤シャツ隊」の熱い戦いで暦が替わりました。チェンマイでも毎日40度近くの超加熱の日々をおくって、私としては初めて経験する盛夏をどのように過ごして良いか、全くもってとまどって おりまして、結局の所寝てばかりいますが、もっと熱くて、蒸すバンコクで人々が現政権に対する 反対運動を起こし、抗議のために民間のバスを27台も焼いたり、ガスの入ったタンクローリーを持ち出して威嚇したりと、タイ人のエネルギーにただただ感心するばかりです。

毎年新年には、タイの各地で6ヶ月の乾季を終え、雨季を呼ぶための水掛祭り、ソンクランが行われ、行き交う人々にも情け容赦なく水をかけることに街中が熱中すると聞いていました。ずぶぬれになりたくない人は街に出かけず、期間中十分な 食料を買い込んで、家に引きこもるに限ると言われていました。なぜなら、何かと熱くなりがちなタイ人 が水掛からエスカレートして、本気で諍いを始めるからだそうです。この暑く乾いた時期のタイでは諍いは風物詩なのかな?と外人の私はバンコクの暴動騒ぎを静かな家のテレビで見ながら思いました。

国民が騒ぐと個人も何だかいつもと調子が狂ってくるのは、集団ヒステリー現象でしょうか? 3月の終わりにチェンマイを引き払って奥さんの田舎に引っ越すというイギリス人の友人のお別れ ランチに、ホテルの食べ放題に行った辺りから体調が狂い始めました。卑しい私は、ついつい食べ放題に目がくらみ、現状で消化できる以上の食物を摂取してしまったらしく、それから、自分でつくった ココナッツミルクのカレーが少々傷んでいたのが引き金となって、散歩に支障をきたすほどの下痢に なりました。食べすぎとは本当に怖い。その内にどの食べ物にも食指が動かなくなりました。殆ど食い意地だけで生きている私にとって、食べ物を美味しく感じられないのは生きる喜びのない、暗ーい人生を意味してまして、世に言うマタニティブルーというのは
「こういうものか?」と世間並みの経験を 実感しました。

何もやる気がでなく、怠け者の自分に嫌気をさし、毎日の暑さに顎をあげていた、4月11日に病院に
定期健診に でかけましたら、尿に淡白が出て、腎臓が負担がかかりすぎで悲鳴を上げている状態だと 指摘されました。なるほど、診断されて、自分でも認めてみると体に反応が出るのは、あら不思議。その夜から 足首が浮腫んで、くるぶしが分からなくなりました。整体では症状が出た時は経過の時だと 習っているので、初めて、症状を指摘してくれた現代医学に感謝の念が沸いてきました。「水をできるだけ飲んで、排泄をどんどんすること」という指導も私に受け入れやすいものだったため、 それまで、毎回定期健診で機械をお腹にあてがって心音を聞くだけで、何のために通うのか?不信感だけがつのり、ありがたさのさっぱり分からなかった病院ですが、出産を前に信頼関係を築いて くださったのは、どなたの配慮でしょうか?

その後、浮腫みはひきまして、食欲も前よりましになりました。しかしながら、相変わらず何もする気に なれないので、ここは頑張らず、バンザーイ状態、何もやらない、寝たい時に寝ることにしています。今日をもって、私のたかが42年の経験で積んだ浅はかな知識では測り知れない、別世界に入り込んだと覚悟しました。先々月整体の稽古場の先生に 「お腹の子供に話しかけるのに、目をつかっていると通じませんよ」というご指摘をいただいたので、 目しか使わなかった今までの行動を見直すためにも、本もコンピューターも出産までしばらく お休みにして、これから出産まで2ヶ月の間、他の感覚をもっと使えるよう道を探ろうと思います。

そう決心したせいか昨夜夢を見て、ある流れで、闇の中で高いはしごから降りようと、足先で探って 次の段を模索している私が、整体で言うところの頭部第二という調律点(目から頭に引いた線と と耳から頭に引いた線が合わさる点、左右の2点ある)の左側に、過剰な力をかけていることに 気づいたのです。その昔、10年くらい前でしょうか?個人指導をしてくださった整体のO先生が「貴方は迷走神経が働きすぎるので、ココ(頭部第二左)をよく叩きなさい」とおしゃった、当時何のことやら、さっぱりわからなかった 謎のご指摘がやっーと腑に落ちました。一つの謎が解けると連動して分かることが沢山ありますので、最近本で読んで実行している瞑想法ともからんで、新たな展開につながっていきそうで、ちょっとの間楽しめそうです。

「どういうことかな?」と潜在意識に残っている言葉というのは ある時ふっと出てきますが、妊娠中というのはそういう時期だと思います。これから、残り少ない毎日 そういう、私の中で、出てくる未処理の事柄をどんどん流していけたら、まだまだ未知の体験として、頭部第二に過剰な力をかけて、さぐ必死にっている状態の出産も、楽しみに、心待ちに できるのではないかしら??と思います。まあ気が向いたら更新しますが、次は出産後ということで。 心地よい日本の春を楽しくお過ごしください。


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上の写真は今年の春、唯一したといえる生産的なこと。梅ジュースづくり、梅干づくりの成果 です。タイの
王室のプロジェクトの一環で、北タイに沢山の梅の木が植えられたようですが、実の扱い方が 伝授されなかったようで..。毎年沢山の実が捨てられていることに目をつけたチェンマイ在住の日本人の友人が 梅の実を沢山買い取り、日本人仲間に分けて、毎年梅酒、梅ジュースを造っていると聞いたので、 今年は私も挑戦しました。15kg(値段は150バーツ500円以下です)の梅を仕分けして、梅味噌、梅ジュース2種(蜂蜜、氷砂糖) 梅酒、梅干、ジャムの6種類を作りました。暑い気候の中梅がどんどん熟れていくので、漬け込みには 一刻をあらそい、「何もやる気がしない」などと言っていられない修羅場でした。(笑)漬け込みが 終わって、ホッとしたのもつかの間、暑い天候で、ジュースが醗酵して、アルコール化したり、味噌が膨張して、壜からあふれたり、ヤレヤレ、子供が生まれたら、そういう修羅場が来るのかな?と楽しく想像しながらつくった、
この春の豊かさの記念です。中国では子供が生まれると酒を漬け込み、その子供が結婚する時や成人する時にお祝いにふるまうと聞いていますが、ウチの梅酒はそれまで残っているかしら?来年は今年の反省を生かして、別の方法を探究します。梅の他にも黄桃でお酒をつくりました。自家製のお酒でお祝いのできる日が待ち遠しいです。

こういう豊かさが根底にあるので、この国の人は本当に辛抱強く、満ち足りています。自堕落で、無能な私を毎日支えてくれる、タイの皆さん本当にありがとう。(合掌)



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将来有望な日本青年の自分探しのお手伝いをして新たな自分を発見する
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