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出産てんまつ記3- 残念ながら痛かったぁ
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生後1週間の写真。生後2,3週間は子宮内と同じような状態を保つため、暗がりの中で過ごしました。そのせいかな?夜鳴きがなかったのは

25Jun2009

さて、破水後2日経った夕方、自宅近くのプールで泳いで、ようやく陣痛が始まった私でしたが、痛いだけで、どう動いて良いのか皆目見当がつきませんでした。陣痛というのは間を置いてやってくるので、収まった時に、インターネットで調べて練習したラマーズ法の呼吸法を思い出してやってみましたけれど、何だか
上っつらだけで、全然駄目でした。

ウドム先生ご指導のスクワッドとは、お相撲さんが
「はっけよい」
と声を掛けられた時に重心を下げていく、日本の古来からある動きの型と理解していました。整体の稽古で練習したのですが、腰の弱い私の苦手な型でした。普段でも苦手なので、痛みに負けてとてもできず。
とほほ。

また、8割の女性にはしゃがんだ、和式トイレでとる姿勢が出産しやすいとのことでしたが、しゃがむより、
寝て転げまわっていた方が全然楽でした。私は残り2割に分類される女性だとあきらめることにして、寝た
ままの姿勢で努力はやめました。私の内から出てくる野性を信じるしかない、宇宙の真理、大いなる力に対してまな板の鯉状態でした。

一番の障害となる、”頭で考える”ことを止めるために、考えずできることだけすることにしたら、できたのは
痛ーい!痛ーい
と雄叫びをあげることと、産褥と決めてあった狭い部屋で端から端まで、転げまわること。お呼びしたら絶対助けてくださる整体の稽古場の先生の名前と、昨年の夏に、初めてできて、流れてしまった子にも、名前をつけていたので
「凛子、凛子助けてぇ〜。」
と叫びました。凛子は蕗妹が来るための道を造ってくれた子なので、きっと助けてくれると、水子のお札を
いただいて、ご先祖の祭壇にお供えしておきました。心強い味方でした。 普段ヌクーンが近所迷惑になると嫌がる大音量での叫びです。自分の滑稽な叫びを聞くと、どんどん冷静になっていきました。どうも耳を使うのが痛みにまともに取り合わないためには良いような。それでも、痛かったですが。

いきんでいたら、うん○が出てしまいました。後日友人に話したら
「へぇ〜!?出産ってスカトロなんだ」
との感想。あがいている内に、腹が決まってきました。後はどうにでもなれと。

騒ぎを聞きつけて、ようやく気づいたヌクーンが我が家の二人乗りピックアップカーで私を運ぼうとしましたが、拒否。出産に間に合うように、やっと買えた中古の車でしたが、狭い座席に乗ることに、閉所恐怖を覚えていたので、そのまま断固自宅にいることを主張しました。嫌なことは嫌だというものですね。
最上の手段で病院に運ばれました。救急車です。タイの救急車は病院の送迎サービスで、お金を払って
利用します。看護婦さんが尊敬される職業で、なり手が沢山いるタイのこと、ありがたいことに、3人もの
看護婦さんが救急車に乗り込んできてくれて、あれよあれよと病院に運ばれました。

妊婦は我がままでいい!!というか、そうでなければ生むのは無理!!と方針を変更した私。でも、突然
土壇場になってやり方を変えられても、周りがついていけないしょうから、やはり整体の本に書いて あるように、最初から
「母体の欲求に従って」
ですね。整体の研究所の先生がおっしゃることには、
「妊娠したら、お母さんの体は赤ちゃんの体になる」
そうで、
「お母さんがいかに赤ちゃんの欲求に忠実に動けるか」
が良い出産期を過ごせるかの鍵だそうです。この言葉も経験を経て実感しました。普段、どうしても行動の原理にしてしまう”..ねばならない”がどうしても邪魔してしまいました。

車中で、立会いのために乗り込んできたヌクーンに
「あんただけが頼りよ」
とばかりに、
「帝王切開をされたら、自殺する」
「陣痛促進剤もやだ!」
「担当医は嫌いなので、ウドム先生に変えてもらってくれ」
などと英語と、知っている限りのタイ語で、皆に分かるように矢継ぎ早に大声で伝えました。ヌクーンは不安で真っ青な顔をしていましたが、看護婦さんの一人は笑っていました。人生は喜劇です。
その時点では、私はかなり、気がしっかりしていたのだと思います。全て、ヌクーンに頑張ってもらうための演技、オーバーアクションでした。

病院に着いてから出産までは2時間弱。皆が慌てて動き回っていたようですが、特に役に立ちませんでした。ヌクーンが恐怖で、私の肛門に当ててくれていた手を離しそうになるのに、叱咤激励を続けました。
不思議とヌクーン以外は誰も手を出せないように、金縛りにあっていたのかしら???
ずっと仰向けになって転げ回っていたのですが、ある瞬間に、私の意志ではなく、体が勝手に動いて、
操り人形のように、突然、ぴょこんと立ち上がって、一回だけスクワットをしたのです。しゃがみながら、
「これで駄目なら、帝王切開でいいや」
と思いました。と同時にに、何かが破れる感じと、ドスンという音。下を見ると我が子が転がっていました。
私とヌクーンが宇宙の中の歯車としてカチッと組み込まれることができて、一回転して子供がでてきた
そんな感じでした。突然のことで、誰も我が娘を受け止めることはできませんでした。手足を縮めて、初めて訪れたこの世界に緊張した面持ちだった様子が、今でもまぶたに焼きついています。

痛かったですねぇ(涙)生んだ瞬間感じたのは、頭の後ろの遠くで流れ星が落ちた感じがして、脳の血管
ピシッと通った後、安堵。ほーっ。
野口先生が「誕生前後の生活」に
「お産は痛くなくては生まれないというのも勿論迷信であり、出産の原因にも快感がるように、出産することにも、哺乳することにも快感がある。むしろその快感をみつけるような心の角度を出産にとりますと、痛くなく、楽に、快感で生まれるのです。痛みがあったとしても快痛というべきで、必ず快感がある。それをみつけようとしないで、苦痛の側だけの誇張を自己暗示的に行っているので、お産ということが今のような状態になったのであります。」
と書いておられました。痛みに対する気構えについては、初めての出産では、どうしたら良いか全く分かりませんでした。。 私は整体に出会ってから15年、教えをひとつひとつ試していくうちに、そこに述べたれていることをほとんど信じるに至っているので、"出産=痛い"とは思っていませんでした。実は痛くないのではと
かなり期待していたのですが、私は快感をみつけるのはド下手でした。残念。

ただ、産後3ヶ月を過ぎた今その時の痛みは全然覚えておらず、痛かったような、痛くなかったような。今度は助産夫ヌクーンではなく、熟練の助産婦さんに、とりあげていただいて、もっと気持ちの良い出産ができるように新月に願望を書いています。やっぱり母は強しです。



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