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出産てんまつ記1-プールが陣痛促進剤
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陣痛促進剤となったプール

25Jun2009

子供が生まれたら、『とにかく子育て優先!!』としていたら、この日記復帰までにたっぷり3ヶ月以上かかってしまいました。整体では元の体に戻るまでに3ヶ月かかるとされている聞きましたが、新しい魂を家族の
一員として迎え入れるまでに、それくらいかかりました。母体だけで言えば、私のように42歳の高齢でも
2ヶ月で回復には充分でしたが、父親になるというのは実は容易なことではなく、子供と父親の間で調整役をするのが大変でした。その辺のことはまた別の日記に書くことにして、母親の私のことだけ申すと 産後は産前、出産と同じくらい大切だと実感しました。骨盤が閉まっていく間にも色々なことが起こりました。骨盤が開いていく段階に解消しきれなかったことが復活して経過していきました。例えば、身体的な
問題は、出産直前には「どうなることか?」と一番の懸念だった肛門の障害。妊娠初期に冷えたことから、
内側の皮膚が随分外側に出てきてしまっていました。出産の際に肛門を押さえてもらうと解消すると
誕生前後の生活」に書いてあったので、夫ヌクーンにずっと押さえていてもらいましたが、押さえ方が
甘かった気がして、産後も変化がみられずがっかりしていました(人のせい)。しかし、娘、蕗妹(ロマ)が
出てきた時に少々切れた傷の痛さと産褥熱の恐怖に注意を奪われている間に一月して、気がつくとすっかり内側に入っていました。”ちにてんてん”は肛門の障害ではなく、頭の緊張や心臓系統の障害と以前整体の講習で習いましたが、他の心臓系統の障害も解消し、何だかエネルギーが増幅したようで、やはり、
野口晴哉先生の言にあったように、出産は私にとって体癖改善の絶交の機会でした。色々な方々に協力していただいて素晴らしい体験ができて、生まれて初めて本当に感謝の気持ちが持てるようになった、私の新しい原点となる経験でした。

ちなみに、尿漏れ危険は、今回だけでは解消しきれなかったようで、次回の出産があったら期待することにしています。野口晴哉先生の言によると、たった一度の出産で、全てを変えようと考えるのはどうかしているそうです。とほほ。
次回は是非とも産後の体の動かし方を大いに改善したいものです。

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さて、3ヶ月以上前にさかのぼって、出産当時のことを少し書きます。妊娠出産という神秘体験をしてしまってから、私自身が変わってしまい、体験をどう理解していいか分からなくなって しまったのも、この日記から
しばらく遠ざかっていた理由です。それでも、その新しい原点に触れずに、この先日記を続けていくこができなさそうなので、出産から3ヶ月以上経った今の感じで綴ってみます。また色々なことを経験して感じ方が変わるのかもしれませんが、それはそれで。

上の写真は出産1ヶ月前ぐらいから通い始めたプールです。チェンマイを代表する山ドイステップを見渡し
ながら泳げる、気持ちの良い場所です。普段は比較的過ごしやすい気候のチェンマイですが、4月の盛夏は、日中、ほとんど毎日気温40度を越え、汗が滝のように流れ、座っていることがやっとでした。どうにか、難産の不安を解消するため、体を動かすために、水泳を始めました。泳ぐのは本当に気持ちがいいのですが、 プールに足を運び、水着を着るまでが面倒です。水泳は、かねてから検討していたのですが、生来
怠け者、習慣を変えるのが面倒で、苦しい4月を体験しなければ、プールサイドに這って行けませんでした。暑い気候もまた、私の安産に協力してくれました。妊娠中に是非にとされている定期的な歩行より、水泳の方が私には、ずっと気持ちよく楽で、最初から定期的に水泳をしておけばよかったと思いました。 歩行は
歩行で大事ですから、次回はプールまで片道約30分を歩いてから、泳ぐことを日課にできたら良いなと思います。既に次回に備えて週に一度の水泳の習慣をつけています。

整体の歩行は目的を持たず、その日その日のお腹の子供との調子をみて距離、時間を決めることと指導
されているのですが、目的を持って行動することに慣れてしまっている私には、できなかったし、この先できそうにありません。自分に期待が持てないので、早くから習慣づけることで準備しています。まあ、妊娠期、出産は胎児によって全然感じが違うそうですから準備というのも意味が無いことなのかもしれませんが。
どうなることやら、お楽しみということで。

このプールを話題にしたのは、出産の直前に泳ぎに行ったからです。既に、病院ではわが意に副わない
出産をさせられそうなので、自宅で一人ででも、医療手段を使わず、自然な出産を!!と決意していたので、”おしるし”と言われる血液が出ても、破水をしても、周囲には告げずにいましたが、破水して一日経っても陣痛が始まらなく、整体で習った色々な動きを試みたものの、鈍痛に気が捕らわれ、表面的な動きにしか
ならなかったのですが、水に入ると滑らかに体が動きました。それもそのはず娘の名はイルカ(タイ語)ですから。私の陣痛促進剤!!?はプールでした。

前回の23May2009の日記では、担当の産科医の先生が、私の出産予定日2週間前から海外にバカンスに出かけることになっていたので、どう流れが変わるか?と結びましたが、担当医の休暇中に臨時で診ていただいたのが、実はチェンマイで自然出産を推進しておられて有名なウドム先生でした。私達が親戚お勧めのR病院からわざわざランナー病院に移った理由は、自然出産で有名だということでしたが、後から気づいたのですが、私は間違った診察室を選んでいたのでした。総合病院には色々な考え方の先生がいらっしゃいますね。私の担当医の先生は触診も行わない、バリバリの近代医学推進者で、私が自然な出産を希望した際には受けてくれたようにみえて、実は高年齢のこともあるし、「最初は皆そういう」くらい で軽く受けて、帝王切開をするつもりであったようです。途中で、「何だか違うな」と気づいた時点で、サッと他の病院や先生を探しておけば良かったとは思います。既に一度病院を選び直していたので、億劫だったというのが一番の理由で、そのままその先生にかかり続けてしまいました。その他に、タイでは昔の日本と同じで、お医者様は尊敬される存在、サービスの質が違うので、頻繁に変えるという習慣がないので合せようと思いました。子供はタイ人と育てるつもりだったので、なるべく地元の習慣に合せたかったという気持ちがありました。
結果的には、素晴らしい、偶然の重なりで、希望通りの出産ができましたので、全てよし。たった一回の
出産で、タイでの出産に関する様々な問題点に自ら直面でき、大きな視野が持てたということで、最初から、自宅出産ができなかったのも、希望に副う先生に担当していただかなったのも良かったと結論づけています。

この先は次回の日記に続けます。



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