上の写真は、なんて呼ぶのかな金属溶接業のおじさんの仕事の道具と
作品です。毎年、年に2回チェンマイにひと月から三月くらい過ごしにやってくる日本人の
友達は花を生けるのが大好きで、いつも大きな壺に チェンマイ産の美しい花を沢山生けている
のですが、その花の持ちを長くするために、壺の中に銅の容器を入れて、そこに花を生けたい
との希望を持ちかけられ、夫ヌクーンと奔走して、出会ったのが、今回ご報告 する働くおじさん。
ちなみに、前回から始めたこのシリーズ、当初「男の仕事」と名づけたのですが、その後、次なるネタを
探しているうちに、小学生のころ、学校の道徳の授業で皆と一緒に見た教育テレビの
番組の「♪働くおじさん ♪働くおじさん、こんにちは」というテーマソングが下りてきて、「そういえば、あの番組まだ続いているの かしら?」と思い、
偉大な番組に敬意を表するために、変えました。
話は戻って、上の働くおじさんに直径20cm高さ30cmくらいの円柱状の銅の入れ物を
依頼した際は、材料は自分で調達するように言われ、これまたチェンマイの街の中の金物や
さんで聞きまわり、一番信用できそうな、値段の安いお店で銅の板を切ってもらって、持っていきました。
日本で個人相手に、そういった形態の 商売をしている人は今でもいるのでしょうか?自分
達も製作に参加しているという感じがあって、とても楽しかったです。あちこち行って時間は
かかりましたが....。
おじさんの使っていた道具の中で一番注目したのは写真aの"こて"で、鉛を、
電気仕掛けでなく、プロパンガスで熾した炭火で熱したコテで溶接していました。前回の日記で私は、父が肉体労働
するのを見たことがなかったと書きましたが、唯一はんだごてをつかって何かを溶接しているところ
をじっと近くで見ていたことが記憶に残っています。そのせいか、コテをあてるって、何か男の仕事だな〜
と思ってしまいます。父の使っていたはんだごては、模型か何かを修理するのに使う、小さい
ものでしたが。
チェンマイの街では、手作業で働くおじさんたちの仕事ぶりを通りから眺めらる
”まだ”手作り文化の宝庫です。日本は、東京江戸博物館にあるような「職人の仕事展示場」を作って、
日本の職人さんがどういう仕事をしていたのかを伝えなくてはならない、博物館の展示品になってしまった!!
ああ悲しい。
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