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コミュニティの候補地に行って腰を抜かす
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分譲地の中心の住人用の共有ビル
a
山に囲まれた盆地の大半を占めるような広大な敷地
b
ジャングルを切り開いて、杉を植えるのはタイでは大変な作業と費用がかかるとのこと
c
共有ビルの中には室内プールも
d
共有ビル前のサッカー場用地
e
環境設計は終わっている様子
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a: 分譲地の中心の分譲地住人用の共有ビル
b: 山に囲まれた盆地の大半を占めているように思わせる、とても広大な分譲地
c: ジャングルを切り開いて、杉を植えるのはタイでも大変な作業と費用がかかる
d: 共有ビルの中には室内プールも
e: 共有ビル前のサッカー場用地
f: 環境設計は終わっている様子

22AUG2008

この春日本からチェンマイに帰ってからの日記でご報告したのと同様、またまた、不調で何もする気がしない日々が続いて しまいました!!

やっと抜け出した今にして、自己分析すると、発端は、コミュニティのプロジェクトのために 親身になって相談にのってくれているタイ人の弁護士氏が、彼のお客さんの中に、私達のコミュニティ の計画に最適と思われる土地を、とても手ごろな価格で売りたいと言っていると、予想以上にスゴイ(良すぎる)場所に連れて行ってくれてからのようです。「もしかして、夢が実現してしまうかもしれない?!」と腰を抜かしてしまったのかもしれません。

その候補地というのは10年前に登記された分譲地、丸ごとで、広さは全体で、タイの土地の 単位で300
ライ、48万平米メートル、坪で計算すると145,200坪、48.4町。分譲地内は 道路も景観も区画も整備されていて、約300戸の内100戸余りは売却が済んでいるとのこと。 水道は来ているとこのとでしたが、外からの確認はできませんでした。電気は供給用の電信柱が 等間隔に配置されていました。中心地には、
コミュニティスペースがあり、コンクリートで土台だけ 出来上がっているビルがあり、ビル内には室内プールも用意されていました。価格は2千万バーツ、 日本円にして大体、6千5百万円相当です。共有スペースの
ビルに、かなり手を入れるにしても、 私が切り札としている、世田谷の自宅を売って資金を作れば、買えないことはない値段です。 残念なことに温泉は出るかどうか分かりませんが、チェンマイの中心から、約30kmで、車で 約30分、幹線道路から近く、何と近くに小さな飛行場まであるのです。そして私のコミュニティの
構想が固まったサンカンペーンのルンアルンという温泉と同じ地域にあって前から、その地域がいいと
ずっと思っていたのも、夢に実現に大きく近づいたと思った理由でしょう。

いつも、この日記の話題にしているJan Spillerの「新月のソウルメイキング」にも「ザ・シークレット」にも
願いが実際い叶うのを止めようとしてしまう人間の不安について書いて ありました。何度も読んではいましたが、実際に実感したのはこれが初めてで、そういった不安が自分の全ての行動を抑制していたとも、少しも気づきませんでした。まったく、良い経験をさせていただいたものです。本当に生きているって、素晴らしい。実際本で読んだのと経験したのとでは大違いでした。

候補地の分譲地のゲートをくぐった時に頭が真っ白になり、「分からない」と思いました。「どうやって人を雇って、こんな広大な土地を管理 したら良いのか?」「どうやって中途で終わっている工事を完成させたらいいのか?」等々、次々と細かな疑問がわいてきて、先に進めなくなってしまったのです。そのような些細?なことが問題になるなら、最初から 大きな夢を持つべきではないのにと、今なら笑えます。幸いなことに、整体の
稽古で、「頭で やり方の詳細をあれこれ考える時は何か違う物を観てしまっている時」と身をもって、教えてもらっているので、気づくのが早かったのかもしれません。

気づきのきっかけは意外なことでした。1週間くらいの後のある日、夫ヌクーンの勤め先のNovaの同僚のタイ人女性が、ヌクーンの携帯に電話をくれたのです。伝えてきた内容は、私が彼女にも紹介した、毎年チェンマイに来ている私の日本人の古い友人を車で通りかかって、見かけたとのこと、「路肩で 車に障害が起ったらしく、困っている様子を見たので、連絡をして力になってあげて欲しい」とのことでした。

タイという国は四方を海に囲まれた自然の要塞のある日本と違って、歴史が始まって 以来、常に外敵から侵入を受けてきた歴史があります。それが国民性にも反映されていて、タイ人の よくつかう言葉にゲンチャイという言葉があり「遠慮する」という意味でよく使われますが、裏に「厄介ごとを避ける」という意味があると
長くチェンマイに住む日本人に教えてもらいました。タイ人の厄介ごとをさけようとする行動を目の当たりにして、文化の違いとは知りながら、何度も悲しくなったことが あった私でした。路上で事故で傷を負って倒れている人を見つけても、特に、夜は助けてはいけないのです。厄介ごとにつながるからです。電話を受けたのは昼間だったせいもありますが、外出先に携帯を持参していなかった私の代わりに、ヌクーンが私の友人の電話番号を調べて、ためらいもせずに、連絡をしようとする姿を見て、1年前の私の日本人仲間とタイ人仲間の関係性には大きな発展があったことが実感できました。知らない内に、見えない障壁が予想以上に低くなっていたのです。

例え広大な土地を手に入れても、この関係性のお陰で、いつかは、何かができるのだ!と信じることが
できたのです。方法は考えなくていいのです、ただ「やる」と決めれば、後からついてくるんです。いつか道ができるんです。その時を楽しみに、今はできることだけしていればいいんですね。



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