・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出産てんまつ記2- イルカの来た日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

江ノ島水族館のイルカ。お母さんの先輩Yちゃんが送ってくれました

25Jun2009

6月21日(日) 出産予定日
6月22日(月) おしるしがでる
6月23日(火) -新月- 破水
6月25日(木) 出産

上のような日程で出産に至りました。野口晴哉先生の言葉に
「お産をするのを期待して待っている人が多いと、つい気張る、つい急ぐ。そういうことで難産を作っていくのです」
とありましたが、私の周囲は
「まだか?まだか?」
だったのでつらかったですね〜。言わなくても、彼らの不安が襲ってくる感じでした。何せウチの母は怖がり、ヌクーンは不安症なもので。とほほ
「つらいのはこっちよ!」
と怒って、ヌクーンが毎朝使うコーヒー豆を挽くグラインダーを隠して意地悪をしたりしました。電子音が神経に応えたからであります。鳥や蛙の声は体を通り抜けます。自然に恵まれた環境で妊娠期を過ごせて本当にありがたかったです。
母は待ちくたびれたのと、我が家の屋根を徘徊するリスがダニを撒き散らして、痒い痒いと、言って息抜きに二泊三日を市の中心地にあるホテルに居を移しました。お守りをする人が減ってホッとしました。やはり野口先生の言葉に
「娘や嫁の出産になると母親はまごまごするので、孫と言う」
と冗談みたいなものがありましたが、本当でした。出産の手伝いは冷静な第三者の方がかえっていいのではないでしょうか?まあ、私は自分の孫の時にはしゃしゃりでていくと思いますが....

出産予定日なんて知らない方がいいというのも経験してみて実感しました。たんなる目安ですから。
ことに初産の場合は誰もが
「予定日より遅れるよ」
と言っているのに、バカンス帰りで気分一新してきたはずの担当医が
「予定日より一週間経っても陣痛が起らなかったら促進剤を打ちます」
との宣言に、この人の強引さには勝てないなぁと思い、私一人の判断で逃げることにしました(笑)

私のバイブル「誕生前後の生活」に
「破水しても、直ぐには出産しない場合が多い」
「むしろ仙椎2番のあっ痛が消え、仙椎4番に過敏が起った時が近い」
と書いてあったので、破水のあった翌日は家の中でぐるぐる歩きました。一生懸命自分の体を観察して、
仙椎4番に過敏が起ったような気がしたものの、翌日の6月25日の朝は、鈍痛はあるものの何事もなく目を覚ました時には
「また、待ちの一日か」
とうんざりしました。そこで気分を変えて、出産で死んでも心残りがないように楽しいことを どんどんすることにして、母に半年前から食べたくて仕方なかった飲茶をおごってもらうことに しました。美味しい物のため
なら、這ってでも行ける底なしの食い気を利用したのです。食いしん坊というのは便利です。食べ物以外は大抵のことなら忘れられる。普段の足で、40分くらいかかる中華料理店に、えっちらおっちら、歩いて行き
ました。痛かったけれど、歩けて満足、美味しい飲茶を食べられて満足満足。お正月から食べたかったのに
我が家の財政事情では身分不相応か?と遠慮していたんです。そして、妊娠してから少しも飲みたくなくて飲んでいなかったアルコール、母の紹興酒をもらって少し飲んだら、幸せな気分が湧き上がってきて、お腹の子供がいつもより元気に動きました。帰りは車で帰って
「これで、もう運動しなきゃと思うこともないんだ」
と安心して寝ました。寝るのも大好きなんです。痛くても寝られるのが特技??

そして夕方目を覚ました時です。破水したことも何も知らない母とヌクーンが
「近くにいいプールがあるから行こう」
と話していたのは。私は直前の新月に
「プールで泳いで出産が軽くなる」
と書いたばかりだったので
「コレかぁ!!!」
とのりました。 前々回の日記に写真を載せたプールは忘れられない場となりました。夕方6時過ぎに泳ぎ始めました。夕闇で裾を桃色に染めた広い天空が私を包んでくれて、細い月が出ていました。水を得た魚の私は思いっきり動くことができました。 担当医の休暇中に臨時で観てくださった、ウドム先生が教えて
くださった、お産を軽くするという、スクワットも陸上では痛くて一回しゃがんだら、なかなか立ち上がれ
ませんでした。でも、水の中でプールの端につかまってなら、何度もできました。600mくらい泳いだら、体が冷えてきた ので、更衣室で、熱いお湯のシャワーを浴びました。我が家の「やや温かいかな?」くらいの温水シャワーより温度が高く(タイ人の大半は冬でも水シャワーです)、これにも 助けてもらいました。血液が体中をぐんぐん循環して、陣痛が始まるのが分かりました。

車の中での 出産はどうしても避けたかったので、プールから家にたどり着くまでハラハラしましたが、 家に
辿り着いて、一安心、お陰様で、その時までに、チェンマイの我が家は
世界で一番安全な場所に なって
いました。新潟の弥彦神社の安産のお砂を送ってくださった方がいらして、半分ずつ我が家と病院に撒いてありました。
「さて、これから出産だ」
と全てが整ったのですが、分からなかったですねぇ〜、どうしていいのか?出産は大便をするのと同じで、習うものではないと聞いていましたが、まったくどうしていいか分かりませんでした。

この先またまた次回に続きます。



Next Page  25JUN2009出産てんまつ記3
- 残念ながら痛かったぁ
WeblogTop Weblogの最初のぺーじへ
Studio Ring Web  工房 凛の最初のページへ


Copyright 2007 and beyond 工房 凛.All rights reserved.